或る莫迦な泥棒の話。
 


とある日の十時四十五分所有者は多分男であろう見知らぬ部屋で、とある男は大変困った事態に陥っていた。とはいっても、人が死んでいるわけでも、この男の服が脱がされていて隣に女、若しくは男が同じく裸で寝ていたわけでもない、ただ電話のベルが鳴っているだけなのである。
当たり前だがただこれだけを述べたところで、話の意図が分かるはずも無い。そこで現状をきちんと理解して頂く為に、この男の三十分前の行動から後を追ってみることにしよう。

男は泥棒だった。
泥棒、とは言っても何十万も盗んだり、それほどの絵画や宝石を盗んで大騒ぎになる程の大物ではない、地元の新聞紙の小さなコラムに載る程度である。まあ一回に五千円から多くて五万しか盗まないと言うのだから当然だろう。
男はまだ若い、二十四歳になったばかりだ。何故こんなことをするのかと言えば、とある女に騙されて有り金を殆ど奪われてしまったからである。今は新しい恋人も居て、その恋人はとても優しいのだが、そんな彼女に甘えて金を借りたり食事を作って貰ってばかりでは、流石に申し訳が立たず、かといって日雇いのバイト代ではどうしようもない、田舎の父や他界した母にも面目が立たない――――そんなわけで男はつい、盗っ人の道へと足を踏み込んでしまった。けれども、根が真面目なこの男にとって泥棒と言う行為は性に合わなかった。僅かの金額しか取らないくせに盗みに入った家に再三心の中で謝っている。つまるところこの男は悪にどっぷり浸かってしまえる勇気と度胸、そしてそれほどまでにさせる環境を持ち合わせていなかった。
――――なので、男はいい加減盗みの道から足を洗おうとしたわけなのだが、やはり人間、ケジメと言うものが必要である。男は今夜の盗みでこれっきり泥棒家業と縁を切ろうと思い――――・・・とあるマンションで入り込めそうな部屋が無いか調べていたのである。
一階・・・此処は駄目だ。管理人がいる。
二階・・・駄目だ、どん。ちゃん騒ぎしている音がする
三階・・・此処も何か駄目だ、今女性が彼氏を部屋に招きいれた。
男は少し息を切らしながら四階へと続く階段を上がった。
四階は新としていた。耳を澄ませても騒いでいる音は無い。一つ一つの部屋にそっと耳を当ててみる。何も音がしない・・・男は耳を離してからその理由に気付いた。何のことはない、表札がかかっていない、つまり住んでる人がいないのだ。次の部屋は微かにテレビの音が聞こえた。そして男と女の楽しそうな笑い声。男は自分の彼女のことを思い出してばつが悪くなった。そして三部屋目・・・『川田 亮』と書かれてある表札。『りょう』だろうか、『あきら』だろうか、それとも『まこと』だろうか。まあいい、と思い直して男は針金を取り出し手馴れた手つきでかちゃかちゃと鍵を開け始めた。数秒後、カチンと音がして男は音を立てないように戸を開ける。・・・よし、靴は無い、まだ帰って来ていないのだ。男は抜き足で部屋へと上がった。
金は戸棚の三番目の引き出しの中にあった。茶封筒の中に福沢諭吉が並んでいた。生活費として引き出した分だろう。思いもかけない大金に男は躊躇した。きょろきょろと辺りを見回してみる。夜目の聞く彼には、町と月の明かりだけで持ち主の部屋は十分はっきりと見えた。・・・家具や部屋の雰囲気からしてまだ若い人物らしい、床にはゴミが落ちていないので一人暮らしを初めて大分経っていることと、綺麗好きであることが窺える。
羨ましい。
男は思った。それと同時に酷い劣等感を感じた。同じ世代であろう奴がこんなに金を貰っている。なのに自分と来たら。
彼は会った事も無いこの部屋の住人を心底憎らしく思った。そしてその衝動に駆られて封筒から一万円札を五・六枚抜き出そうと――――した、その時だった。

プルルル、プルルル

さて、漸く冒頭のところまで話が進んだようだ。続けよう。

男はうろたえた。今まで一度だって盗みを働くときに電話なんて鳴らなかったからである。
どうしたものか、と彼は焦った。自分以外誰も居ない部屋に着信音は不気味に鳴り響く。
・・・・・・そうか、見過ごせば良いじゃないか。
冷静に判断すれば小学生にも分かりそうなことを男は何回目かの着信音でやっと気付いた。
そうだ、どうせ此処の住人は留守なのだから見過ごしたってなんら不自然でもないし、まして自分がとったところで余計に自分の首を絞めるだけだ。第一、こんな時間にかかってくるなんてろくでもない電話に決まっている、放っておけばすぐに切れるだろう。
・・・・・・しかし着信音は鳴り止まない。
男は段々と不安に、いや冷静になってきた。
ちょっと待て、おかしいぞ、こんな時間に電話をかけると言うことは、ふざけた電話以前に大事な用事かも知れないじゃないか。
しかもどうでも良い内容ならこんなに長い間相手が出るのを待つだろうか?もっと、・・・ひょっとしてとんでもなく重要なことではないのか?――――彼はじっと考えた。着信音はまだ鳴り続けている。彼はゴクリと唾を飲み、とうとう電話に出る決心をした。
よくよく考えなくても分かることだが、彼は莫迦なことをした。電話に出た後どうすれば良いかなんて考えもしなかったのだから。しかし、前文でも述べたとおり、この男は根が真面目なので自分の良心にこの時ばかりは逆らえなかったのである。
男は受話器を取った。
「もしもし」
『アキラ!?亮なの!?』
狂気めいた女の声がして、男は仰天した。
と同時に、あ、あきらって読むんだ、とぼんやり思った。
『亮!?』
「いえ、あの、僕は・・・その、亮君の友人で・・・」
咄嗟に口をついた嘘だった。
『あ、あら、ごめんなさいね、・・・ええと、何君、かしら、私亮の母です』
「えと、館山直人です」
ついうっかり本名を出してしまって男、直とはしまったと思った。しかしもう遅い。
『直人君、亮はどうしたの?』
「え、あ」
どうしよう。
「あいつなら、さっきコンビニに行くっていって・・・僕、ちょっと遊びに来ただけなんですけど」
『あら、そうなの、あの子ったら携帯の電源も入れないで全く・・・それじゃあ、直人君、悪いんだけど伝言頼まれてくれるかしら、・・・その、お父さんが事故で病院に運ばれたって』
「え・・・?」
直人は素で焦った。
「お父さんが・・・・・・?」
『えぇ・・・、それからあの子が帰ってきたら電話するようにって』
婦人の声は震えていた。
直人は無意識の内に答えていた。
「はい、分かりました」

電話を切ってから、直人は自分は何てことをしたんだろうと後悔した。このままこの部屋の住人、亮という男のことを待っていたとしたら、まず間違いなく不法侵入でしょっ引かれてしまうだろう、しかも今自分の手には万札の入った封筒がしっかりと握り締められている、窃盗の罪もきることになる。自分の人生は必ず狂ってくる。ふと彼女の泣き顔が浮かんだ。・・・彼女を泣かせるわけにはいかない。
見過ごしたことにして逃げてしまえばどうだろう?住人が帰ってきたところで、今この金を元に戻してそっと此処を出て行けば、誰も泥棒が入っていたなんて気付くはずが無い。そうさ、自分よりも良い暮らしをしやがって、一度くらい痛い目に遭えばいいんだ。
――――しかし、直人にはどうしても見捨てられない理由があった。前にも述べた様に、彼の母親は三年前に他界したのである。交通事故だった。トラックに撥ねられて、駆けつけたときにはもう事切れていた。もし、この男の父親も同じ事態に陥っているとしたら――――・・・・・・。あの絶望と遣る瀬無さをこいつも。味わうことになるのか顔に白い布が被さった親を見て泣く事も出来ず立ち尽くすのだろうか。
直人は葛藤した。
このまま見過ごして幸せに生きるか。
良心に従って罪を負うか。
――――直人は携帯電話のボタンを押した。
『はい』
「あぁ、美鈴?」
『直人、どうして今日は家に来なかったの?スパゲッティ茹でて待ってたのに』
「・・・ごめん」
『いいわよ、怒ってないしちゃんと残してあるから』
「ありがとう・・・なあ美鈴、ちょっと訊いてもいいかい」
『ええ、なあに』
「もし君が・・・・・・・・・、いや、良い」
『どうしたのよ?』
「うん、・・・僕のことを好きかい?」
『突然何。何かあったの?』
「笑わないで、真剣に答えてくれ。・・・何があっても僕が好きかい?」
『何があったのかは知らないけど・・・。大丈夫よ直人、何があっても私は貴方が好きだから』
「美鈴」
『愛してるわ。・・・って照れるものねえ、口にすると」
「・・・・・・そうだね」
『直人?』
「うん、有難う美鈴、それじゃあ」
『ああ、待って』
「何?」
『貴方はどうなのよ、私ばっかり言うのは癪だわ』
「勿論愛してるよ美鈴、君がいて、今本当に救われてる・・・おやすみ」
電話を切った後、直人の気持ちは落ち着いていた。
フローリングの床に座る。
もう決めた、良心に従おうじゃないか。彼はこの部屋の住人を待つことに決めた。

二十分後。ガチャガチャと音がした。どうやら鍵はオートロックだったようだ。その割には開けるのが容易だったが。
そして足音が近づいてくる。手が震えていた。怖かった。しかし直人の眼はひた、と足音がやってくる方向に見据えられていた。
彼女の言葉が蘇る。
『愛してるわ』
大丈夫、大丈夫だ。
そして。
「だ、だれだ!?」
男は流石に吃驚したようだったが、直ぐにもきっと睨みつけ、、直人が武器らしいものを持っていないのを確認すると、飛び掛って羽交い絞めにした。あんまり力が強いから息も詰まりそうになる。
「泥棒か?今すぐ警察に突き出してやるからな」
低い声で脅される。これじゃあどっちが悪人なんだかと心の底でおかしくも思う。
「・・・離して下さい!僕は貴方に話さなくちゃいけないことがあるんですっ・・・!」
「そういわれて離すバカがどこにいる!」
「は、なせっ!!」
渾身の力で直人は男の手を逃れ、正面から向き合った。
「・・・・・・僕の、話を、聞いて下さい」
ハァハァと肩で息をしながら直人は男を睨みつけた。男もまたこちらをじっと見ている。直人の頭の中は真っ白に近かった。
「仰るとおり、僕は泥棒です」
男が強く前に踏み出す、直人はもう一度「聞いて下さい」と叫んだ。
「川田、亮さんですね」
「それがどうした」
「貴方のお父さんが交通事故で病院に運ばれました」
「・・・何だって?」
男、亮は一瞬躊躇したが、やがてふんと鼻で嘲笑した。
「莫迦言え、そんな嘘が通じると思うのか。大体そういう連絡ならケータイに」
「・・・・・・電源を切っていませんでしたか」
「・・・・・・」
亮は確かに電源を切ってはいたようだ、何も言い返してこない。
美鈴、力を貸してくれ。
そう祈りながら直人は続ける。
「僕がこの部屋に入って金を盗ろうとしたとき、電話がかかってきた」
「でたらめだ」
「電話をとるべきかどうか迷いました。けれど結局僕はとってしまった。そして貴方のお母さんと話しました」
「嘘を言うな」
「はい、嘘は言いません。彼女は友人だと偽って出た僕に伝言を頼みました。貴方が帰ってきたら電話して欲しいと」
「・・・・・・悪人は口が回ると言うのは本当らしいな」
亮はあくまで冷たい視線で直人を見ていた。
「いいな、俺はお前を今から警察に連れて行く、言い訳はそこで聞いてやる」
「っ言い訳じゃない!」
「じゃあなんだ、油断させるための作戦か?」
「違う!」
直人は声を荒げ、それから息をひとつついた。そして真直ぐな眼でこういった。
「真実です」
亮はその眼の強さにどきっとした。泥棒がこんな眼をするものだろうか。まるで挑戦するかのような、こんな眼で。
「疑うのなら、電話してみたらいい。僕は何もしませんから。お父さんのところへ行って下さい」
何なんだこいつは。そう亮は思う。どうして被害者であるはずの俺がこんなにも躊躇しなくてはいけない。どうしてこの泥棒に負い目なんかを感じているんだ。
――――暫くそうして睨み合った後、亮は尋ねた。
「・・・もし、お前の話が本当だとして、何故電話に出た。どうして俺を待っていたんだ」
「――――それは・・・。・・・・・・それは僕が間抜けで莫迦な泥棒だからです」
直人は微笑んだ。
「僕は、三年前に母を亡くしました。交通事故でした・・・。僕は、あの時はまだ大学生で、友人と遊んでいて・・・ケータイが鳴っているのに気付きもしなかった。気付いて慌てて病院に向かったときにはもう、母は霊安室の中でした」
今でも覚えている。嘘だと何度も繰り返して走って行ったとき、あの少し荒い呼吸のままどこまでだっていけそうな感覚、白すぎる蝋燭のような母の顔、暗く冷たい部屋、たちこめる線香の匂い。
「母は、僕の名を呼んでいたそうです。・・・・・・もし貴方のお父さんが同じ目に遭っているのかもしれないなら、できれば僕は貴方に、いや誰にだって同じ思いをして欲しくはありません」
電話が鳴ってどきっとした。
電話を置いて不安になった。
顔も見たことの無い相手の父親なのに、ただ境遇が似ているというだけで申し訳なくなった。自分の妄想や思い込みかもしれないのに。
「・・・何故、顔も知らない相手にそこまでする。今から捕まるんだぞ、お前は」
どうして残ってしまったのだろう。
どうして今、亮と話しているのだろう。
・・・きっと、それは。
直人は答えた。
「さっきも言ったとおり、それはきっと僕が間抜けで莫迦だからです」
信じたい。
心の中で亮は思った。今さっきであった泥棒のことを信じるなんて愚の骨頂かもしれない。それでもこの盗っ人の眼には嘘が無いように感じた。普段会社で目にしている上司達の、大義名分を盾にして鈍く光る権威欲や猜疑心の渦巻く眼よりは、余程澄んでいる気がしてならないのだ。・・・そう、自分のようなやつれた会社員よりは。
暫くの沈黙、一とも百ともつかない時が流れる。外には都会の音と光と、月。太陽という真実を夜なお反射して映し出す鏡。
言葉を放ったのは亮だった。
「お前の、名前は?」
「・・・・・・館山直人といいます」
「そうか。じゃあ館山、俺は今から田舎へ帰るから、お前は家に帰れ」
「・・・・・・え?」
「親父の死に目に会えないのは困るからな」
直人はまるでひょっとこのような顔をして亮を見つめた。
「ええと、その・・・・・・」
「友人が」
「は?」
突発的な一言に直人はさらにきょとんとした。亮の眼は少しバツが悪そうだ。
「友人が入って来て部屋を物色していただけの話だ。突き出すもクソも無いだろうよ」
言って亮はくるりと背を向けてネクタイを解き始めた。
直人は言葉の意図を理解するのに数秒要し、そして言葉を探した。何か、何か言うことはないか。当てはまる言葉は。
「・・・・・・・・・・・・あの」
「何だ、早く帰れよ」
「また、此処に来ていいですか、今度は物色目的ではなくて」
「・・・・・・・・・」
返事はない。それでも直人は部屋とドアの前で一度ずつ礼をして出て行った。ドアを開けると意外に明るい都市の夜が広がっていた。
もう、盗みは止めよう、もっと真っ当に生きよう。直人はそう決心して、腹が減ったことに気付き、恋人がスパゲッティを作ってくれていたのを思い出して足早に彼女の住むアパートへと向かった。

そして亮はまだネクタイを解いていた。急ぎたいところなのに手が動かない。
五分経ってやっと全て着替え終えたところで亮は思う。
グラスと皿をもう少し増やしておこう。もし、あの泥棒が来た時の為に。

――――追記である。
亮の父は幸い命になんら別状は無いそうで、単に母親が慌てていただけだということが後日判明した。
直人は職安に通いつめ、ついに就職口を見つけた。恋人の美鈴にもプロポーズをして来年の春に式を挙げる予定である。

そして直人と亮は今日も、出会った日のことを酒の肴にして笑いあっているのだった。








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何とまあアレな話ですみません。